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1 名前:
Egg ★@\(^o^)/:2016/01/16(土) 08:15:19.63 ID:CAP_USER*.net
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夏冬2冠を達成した東福岡(福岡)には、Jクラブのユースよりも高校サッカーを選んだ2人がいた。
MF藤川虎太朗(2年)とMF三宅海斗(3年)。藤川はサガン鳥栖U‐18への昇格を、三宅はファジアーノ岡山U‐18への入団を断って東福岡の門を叩いた。
ともに将来はプロになる夢を描く。ならば高校サッカーよりも、Jクラブのユースで心技体を磨いたほうが近道になる。
実際、J1のルーキーは2006年を、J2は2009年をそれぞれ分岐点として、高卒よりもユースからの昇格組が上回る状況が続いている。
それでも、佐賀県で生まれ育った藤川は自らの意思で、鳥栖の下部組織でのプレーにU‐15でピリオドを打つことを決めた。
「自分をもうひと回り強くするために東福岡へ来ました。ユースは華麗なサッカーという印象が強かったし、高校サッカーは球際の攻防を含めて、泥臭いという思いで見ていた。
自分としてはもっと泥臭くプレーしたほうがいいと思っていたので。(ユース昇格を断ったことを)後悔はしていません」
岡山県の倉敷北中学出身の三宅は、J2岡山の下部組織の入団テストに合格した喜びと、J1のヴィッセル神戸と名古屋グランパスに不合格となった悔しさを比較。最終的に後者が上回り、東福岡を選んだ。
「岡山は自分のなかで考えられなかった。楽をして行っても(上のレベルでは)通用しないというのはわかっていたので、ならばもっと厳しい環境で、求められるものを身につけていこうと思いました」
東福岡の部員数は280人。全国でも最大規模を誇り、レベルによってAからDまでの4つのチームに分けられる。
公式戦でプレーできるのはAチームのみ。過酷な競争が待つなかで、試合に出られないのでは、という懸念は抱かなかったのか。
対照的にJクラブのユースは少数精鋭。トップチームへの人材供給を目標に、ハイレベルの指導を受けられる。
実力が認められればユース所属の2種登録選手としてトップチームでプレーできるし、場合によっては高校卒業を待たずして「飛び級」で昇格することもできる。
一方でユースへの昇格や入団は狭き門でもある。かつては中村俊輔が横浜F・マリノスの、本田圭佑がガンバ大阪のユースに昇格できなかった。
今大会で旋風を巻き起こした国学院久我山の司令塔、名倉巧(2年)もFC東京U‐15深川からU‐18への昇格がかなわなかった一人だ。
傘下に下部組織をもつことが義務づけられたJリーグが発足して以降、高校サッカーは15歳にして一度夢を断たれた選手たちの「受け皿」としての側面も持ち合わせるようになった。
もっとも、17年前に東福岡を選手権連覇に導いたときの監督で、現在は総監督として森重潤也監督を支える志波芳則氏は、多感な感情をもつ年代に高校サッカーが与えてきた意義を説く。
「サッカーは一人でやれるものではない。自分の力を伸ばしていくには大勢の人間のサポートがあり、いざ最後にゲームで戦うときにはフォア・ザ・チームの精神が必要になる。
自分を生かすか、あるいは周りの味方を生かすかは自分自身の気持ち次第。だからこそ、高校サッカーを通じて我々が何を求められているかと言えば、最後はやはり人間を作るということになります」
東福岡では、1年生であってもボール拾いなどは一切させない。10人を超えるコーチが同じコンセプトのもとで、それぞれのカテゴリーを指導する。
選手たちはそれぞれ追い求めてきたものを身につけながら、志波総監督が最も重要と指摘する人間力も心のなかに備えていく。
決勝で先制ゴールをあげた三宅はスタンドで声援を送る部員たちに向かって拳を突き上げた。選手権のベンチ入りメンバーは20人。選ばれた人間には特別な力が生まれると、藤川も力を込める。
「ユースだと50人もいないくらいの感じですし、応援もほとんどない。スタンドから見ている選手たちのためにも、試合には絶対は負けられないという気持ちになる。そういう面でも、メンタルが強くなりました」
>>2以降につづく
THE PAGE 1月16日(土)8時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160112-00000002-wordleafs-socc&p=1
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2 名前:
Egg ★@\(^o^)/:2016/01/16(土) 08:15:33.17 ID:CAP_USER*.net
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ベスト16に進出したW杯南アフリカ大会直後。全国高校選手権の優勝経験ももつ強豪校のベテラン監督から、代表23人のうちJクラブのユース出身者がわずか4人だった点に関してこんな警鐘を聞いた。
「Jリーグの発足から17年もかけて4人ですよね。あちらは年間で1億円以上をかけるプロの養成所で、こちらは教育の一環。その意味では、Jクラブの育成は遅れている、まだまだ甘いと言わざるを得ない」
ブラジル大会では、FCみやぎバルセロナの香川真司を含めて、ユース出身者は10人に達した。しかし、主軸を担ったのは本田やキャプテンの長谷部誠をはじめとして、依然として高体連の出身選手だった。
こうした状態を踏まえて、志波総監督は高校サッカーの在り方を説く。
「サッカーを取り巻く環境でいえば、指導者の経験値を含めて、Jクラブのほうがちょっといいかな。ならば、我々は何が違うかと言えば、繰り返しますけど人を作るということ。
人間の一生のなかで(高校サッカーは)ほんのわずかな部分だけですよね。それがどのような形で次へつながっていくのか、ということを見すえた指導が大事であり、
優勝というものは後からついてくればいい。卒業する3年生もいろいろな形でサッカーを続けていってくれるはずですし、私はそれでいいと思っています」
東福岡の3年生でJクラブに内定している選手はいない。キャプテンの中村は明治大学へ進学。
大勝の口火を切った三宅は鹿屋体育大学へ進み、高校の3年間で培った心の強さを糧に「大学の途中でもプロになれれば最高です」と新たな夢を思い描く。
最上級生として新チームを引っ張る藤川は、2年間で体重が15kgも増えたという。2020年の東京五輪で活躍する自分自身の姿を想像しながら、
「卒業後はブラジルでサッカーをする夢もあります」と屈託なく笑う。
世代ごとのトップ選手が、Jクラブの下部組織に集まる傾向は年を重ねるごとに強くなっている。
たとえば過去6度の優勝を誇る東京勢の決勝進出が17年ぶりだったことと、首都圏にJクラブが集中している現状は決して無関係ではないだろう。
それでも、サッカー人生を逆算したうえで、高校サッカーでしか得られないモノを求めるホープたちが強豪校や名門校の門を叩く新たな流れもまた確実に生まれている。
(文責・藤江直人/スポーツライター)
引用元: http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1452899719
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